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  <author_name>dokuhebiniki</author_name>
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  <blog_title>文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』</blog_title>
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  <description>・ 彼らにとって、その法律がどうであろうと、丸暗記した法律の作文=条文そのものが絶対なのだ。その「法」それ自体の意味や歴史的意味を問うことなど思いもよらないことなのだ。悪法といえども法は法だというわけだ。私は、そういう「法」絶対主義的思考に関心はない。ただ、その思考停止と習慣的思考を、哀れだと思うだけだ。 彼等には「法」といえども、変わることがあるなどとは、思いもよらないことなのだ。「少年法」は「絶対不可侵」の「人類普遍の原理」などではない。それは、時代とともに変貌し、いつでもその時代にふさわしいものに書き換え可能なものに過ぎない。柄谷行人はこう言っている。 「どの法律にも社会的な力関係が刻印…</description>
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  <html>&lt;iframe src=&quot;https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Fdokuhebi.hatenablog.jp%2Fentry%2F20150306%2F1425570352&quot; title=&quot;日弁連的「少年法原理主義」が日本を滅ぼす！ーー日弁連が、早速、「少年法原理主義」の原則を振り回して、「週刊新潮」による川崎事件の犯人の実名報道を批判する声明文を発表した。いかにも弁護士的愚行である。日弁連的思考とは制度的思考、つまり思考停止である。「少年法とは何か」を問う「週刊新潮」的思考との間には、思考の「階級闘争」がある。言い換えると、私の言う、イデオロギー的思考と存在論的思考との階級闘争である。無論、私は、「週刊新潮」的階級闘争=存在論的思考を支持する。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』&quot; class=&quot;embed-card embed-blogcard&quot; scrolling=&quot;no&quot; frameborder=&quot;0&quot; style=&quot;display: block; width: 100%; height: 190px; max-width: 500px; margin: 10px 0px;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;</html>
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  <published>2015-03-06 00:45:52</published>
  <title>日弁連的「少年法原理主義」が日本を滅ぼす！ーー日弁連が、早速、「少年法原理主義」の原則を振り回して、「週刊新潮」による川崎事件の犯人の実名報道を批判する声明文を発表した。いかにも弁護士的愚行である。日弁連的思考とは制度的思考、つまり思考停止である。「少年法とは何か」を問う「週刊新潮」的思考との間には、思考の「階級闘争」がある。言い換えると、私の言う、イデオロギー的思考と存在論的思考との階級闘争である。無論、私は、「週刊新潮」的階級闘争=存在論的思考を支持する。</title>
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