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  <author_name>dokuhebiniki</author_name>
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  <blog_title>文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』</blog_title>
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  <description>・ 日本が、「主権を回復した日」とも言われるサンフランシスコ講和条約の締結を前に、全権大使=吉田茂は、サンフランシスコ行きを決めかねていた。というより、行きたくなくて、逃げ回っていた。それを強力に説得したのが昭和天皇であった。要するに、吉田茂は天皇との会談(謁見)後、態度を一変させた。二人の間に何があったのか？ 吉田茂がサンフランシスコ行きを逡巡した理由は何か？それは講和条約締結後に行われる予定の「日米安保条約」(旧安保条約)の調印式だった。日本の独立と同時に行われる米軍駐留延長と沖縄切り捨て(琉球処分)を含む安保条約という不平等条約の調印式に出ることに、吉田茂は、屈辱的なものを感じていた。 …</description>
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  <published>2015-04-08 06:47:37</published>
  <title>昭和天皇と吉田茂。サンフランシスコ講和条約と昭和天皇。あるいは、昭和の琉球処分を確定した「安保条約の成立ー吉田外交と天皇外交」について。さて、天皇のパラオ慰霊の旅が始まったようだが、もちろん、天皇の思いは、安倍首相や最近の保守論壇のエセ思想家たちとは違って、複雑なものであろう。「天皇陛下万歳」と叫びつつ、天皇の名において死んでいった人たちへの慰霊の旅である。そこには深い悔恨と謝罪の思いが、大きな比重を占めているはずだ。言うならば、沖縄訪問とおなじ意味を持つだろう。</title>
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