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  <author_name>hojo_lec</author_name>
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  <blog_title>来 る べ き 書 物</blog_title>
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    <anon>全学共通日本史（08秋）</anon>
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  <description>続けられていたと思いますが、そこには未だ、精霊を滅却してしまわない限りは殺害にはならない、という論理が働いていたと考えられます。ここから先は宗教学的な解釈論になりますが、イエスが人間の罪を背負う存在としてまさに「犠牲」になったように、鹿たちも田畑の豊穣を祝福するために血肉を捧げた（という認識だった）のではないでしょうか。「動物の主」が供物を期待して血肉を与えに＝殺されに訪れるように、鹿はやはり供物を期待して豊穣を授けにやって来る。人間の獲得するものが肉から豊穣へ変わっただけで、神話・信仰・祭儀の構造は、狩猟採集社会から変わっていない。弥生絵画に窺われる鹿の神話は、狩猟採集期のそれから農耕期へ移…</description>
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  <published>2009-01-14 10:11:38</published>
  <title>農耕の害獣が守護神となるという思想は理解できるが、実際に彼らが田を守ってくれるわけではない。とすれば、害獣を地霊として祀りながら、現実には駆除も続けられていたのだろうか。</title>
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