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  <author_name>hojo_lec</author_name>
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  <blog_title>来 る べ き 書 物</blog_title>
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    <anon>日本史特講（12春）</anon>
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  <description>大変に重要な問いかけです。これまでの講義の枠組みは、近代学問のディシプリンを前提としていますので、主体とは確立された近代的〈個〉以外の何ものでもありません。しかしご指摘のとおり、その範疇では多重人格者等々捉えきれないものもでてきます。また、そもそも〈個〉なるものが確立しているのかという疑問もあるでしょう。そうしてみれば、〈主体〉とは極めて曖昧かつ大まかに把握される行為者、観察者のことだと定義せざるをえないでしょう。量子力学的にいえば、この視座が定まらない限りは対象もありえないわけですから、それは常に対象との相関関係に置かれます。主体とは、他者との関係で、さらに変動し続けるものと考えられるでしょ…</description>
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  <html>&lt;iframe src=&quot;https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Fhojo-lec.hatenablog.com%2Fentry%2F20120629%2F1341525451&quot; title=&quot;他者がどういうものなのかは何となく分かりましたが、他者の反対側にある主体はどういうものなのでしょう。自分のどこからどこまでが主体として規定できるのでしょうか。例えば、多重人格の主体とは何なのでしょうか。主体の範疇がよく分かりません。 - 来 る べ き 書 物&quot; class=&quot;embed-card embed-blogcard&quot; scrolling=&quot;no&quot; frameborder=&quot;0&quot; style=&quot;display: block; width: 100%; height: 190px; max-width: 500px; margin: 10px 0px;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;</html>
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  <published>2012-06-29 06:57:31</published>
  <title>他者がどういうものなのかは何となく分かりましたが、他者の反対側にある主体はどういうものなのでしょう。自分のどこからどこまでが主体として規定できるのでしょうか。例えば、多重人格の主体とは何なのでしょうか。主体の範疇がよく分かりません。</title>
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