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  <author_name>hojo_lec</author_name>
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  <blog_title>来 る べ き 書 物</blog_title>
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    <anon>日本史特講（12春）</anon>
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  <description>音階や旋律まで詳細に検討してみたわけではありませんが、例えばキリスト教や仏教など、体系化された巨大宗教においては、次第にレクイエムは荘重なもの、いいかえれば抑圧的な音感へ定式化してくるように思われます。それに対して民間のもの、例えば中国少数民族の葬儀で奏でられるリズムが、概して賑やかで騒々しいものですね。まさに「お祭り」というべき印象で、恐らくは祭るべき神霊と送るべき死者との境界が曖昧であり、場合によっては同一の存在だからでしょう。死は悼まなければならないという押しつけが、重々しいサウンドスケープを創り出すのでしょうが、そこには常に何らかの権力が作用しているように思います。</description>
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  <published>2012-07-13 14:57:38</published>
  <title>講義のなかで〈鎮魂〉というキーワードが出てきましたが、魂を鎮めるための音楽というのは、歴史のなか、世界のなかにおいてどのようにみられるものなのでしょうか。西洋でいえば教会などでの鎮魂歌が想像されますが、そうした死者を取り巻く音の世界・音的環境というのは、伝統的な東アジア世界のなかではどのような変遷を経てきたのでしょう。</title>
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