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  <author_name>hojo_lec</author_name>
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  <blog_title>来 る べ き 書 物</blog_title>
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    <anon>超域史・隣接学概説III（17春）</anon>
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  <description>死・死者へのイメージ、墓地の位置などは、長い列島の歴史のなかでもずいぶんと変遷があります。縄文時代でも、かつては集落の縁辺部にあり、環状集落が作られるようになって、その中心部に位置づけられるようになるのです。しかし、それもやがて、環状の中心部から墓地を失った祭祀空間となってゆく。再び死者に集団を統率する力が与えられるのは古墳時代ですが、古代（平安時代）にケガレ観が高まると、やはりまた墓地は周縁部に排除されてゆきます。近世には東西日本での地域差がみられ、屋敷墓などを持ち強いケガレ観のない東日本に対し、西日本では参り墓／埋め墓を分け、後者は周縁部に阻害する両墓制が発展します。死者祭祀に関わる仏壇（…</description>
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  <html>&lt;iframe src=&quot;https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Fhojo-lec.hatenablog.com%2Fentry%2F20170508%2F1494727403&quot; title=&quot;多遺体再葬墓の話に関心を持ちました。「死」が血の繋がりを強める道具となっていることが、現代社会とは大きく異なっていると感じました。現代では孤独死なども増え、血の繋がりの重要性が薄れていますが、お墓参りの意味なども、昔とは違ってしまっているのでしょうか？　／　現在は、人々の生活圏と墓地とが切り離されてしまっていると感じます。ひとつのケガレ観の結果でしょうが、先祖の扱いはなぜこうも変わってしまったのでしょうか。 - 来 る べ き 書 物&quot; class=&quot;embed-card embed-blogcard&quot; scrolling=&quot;no&quot; frameborder=&quot;0&quot; style=&quot;display: block; width: 100%; height: 190px; max-width: 500px; margin: 10px 0px;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;</html>
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  <published>2017-05-08 11:03:23</published>
  <title>多遺体再葬墓の話に関心を持ちました。「死」が血の繋がりを強める道具となっていることが、現代社会とは大きく異なっていると感じました。現代では孤独死なども増え、血の繋がりの重要性が薄れていますが、お墓参りの意味なども、昔とは違ってしまっているのでしょうか？　／　現在は、人々の生活圏と墓地とが切り離されてしまっていると感じます。ひとつのケガレ観の結果でしょうが、先祖の扱いはなぜこうも変わってしまったのでしょうか。</title>
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