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  <author_name>hojo_lec</author_name>
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  <blog_title>来 る べ き 書 物</blog_title>
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    <anon>歴史学特講（17春）</anon>
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  <description>まず、民族という概念に誤解があるかもしれません。民族とは、人種のような自然科学的生態学的概念ではなく、あくまで文化的社会的概念です。すなわち極端なことをいうと、（そういう事例は滅多にありませんが）人種が異なっていても同一の民族文化を共有し帰属している場合は、民族としては等しいということもありうるわけです。中国には、漢民族も含め56の民族がひしめき合っています。地続きであっても、山や川、谷などの微地形によって人間集団は区分され、環境やそれに根ざした生業の相違によって異なる文化を育んでゆき、それが民族という大きなまとまりをもってゆくことも少なくないのです。</description>
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  <published>2017-05-13 10:35:06</published>
  <title>どこの民族がどういう言葉使いだからどこの民族出身だ、などと定義づけられていたが、その地域の一族が別の独立した民族であるという境界はどこなのだろうか。朝鮮半島や中国の場合、陸続きのため、完全に違うというのは難しいのでは？</title>
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