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  <author_name>hojo_lec</author_name>
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  <blog_title>来 る べ き 書 物</blog_title>
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    <anon>超域史・隣接学概説III（17春）</anon>
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  <description>そのとおりですね。マルクスは厖大なデータのなかから唯物史観の枠組みを創り上げてゆきますが、しかしその法則性についてはそれほど教条的ではなかったと思います。しかしエンゲルスが世界史の発展原則として整理し、レーニンがより政治的実践的なニュアンスを付け加えると、唯物史観はその法則的な権威を強めてゆきます。戦後歴史学を席巻した時代区分論争などは、まさに過去の具体性を理論的枠組みにいかに適合させるかという議論になっており、演繹にしても極めて無理のある状態に立ち至ってしまった。その過程で、枠組みに合致しないために例外として切り捨てられる、あるいは誤りとみなされるような過去の具体相も、多々あったのではないか…</description>
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  <published>2017-06-12 10:26:33</published>
  <title>マルクスは経済構造を地域や制度ごとに区別しているが、これは区分に「押し込められる」歴史を多く生み出し、授業の最初のほうで扱われた「語られることのない歴史」などが蔑ろにされ、歴史の多様性を奪って画一化してしまう原因になるのではないだろうか。</title>
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