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  <author_name>hojo_lec</author_name>
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  <blog_title>来 る べ き 書 物</blog_title>
  <blog_url>https://hojo-lec.hatenablog.com/</blog_url>
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    <anon>歴史学特講（日本古代史：19秋）</anon>
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  <description>まず最初に、ぼくは、人間が反省と改善が可能な存在だと思っています。ぼく自身も、まったくの無知、傲慢な状態から、猛烈な反省を繰り返しながら、少しずつ前に進んできたと考えています。それを信じていなければ、学問も研究もできませんし、教育の現場に立つ意味もありません（しかし残念ながら、同時に一定の絶望感を持っていることも確かです。自分のことも含め、そのせめぎあいのなかにいます）。殺生功徳論が生きるために必要だったのではないか、というのは優しい意見ですね。確かにこの思想は、不殺生戒を支配の道具にしていた顕密体制下、狩猟を神事として継承してきた阿蘇や諏訪、それを取り巻く武士層のなかで生まれてきました。彼ら…</description>
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  <html>&lt;iframe src=&quot;https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Fhojo-lec.hatenablog.com%2Fentry%2F2019%2F11%2F15%2F095715&quot; title=&quot;殺生功徳論は、単なる人間のエゴにしか思えません。人間は、一度肉のおいしさ、毛皮の温かさを知ったら後戻りできないと思うのですが、いかがでしょうか。　／　仏教的価値観の広まっていた当時の狩猟者たちには、殺生功徳論は生きてゆくために必要だったのではないでしょうか。　／　殺生功徳論について、生きているうちには自殺・他殺・随喜同業のどれかによって殺生をしてしまうので、彼らを殺してしまったからには自分が功徳を積み、報われるようにしなさいという思想ではないのでしょうか？ - 来 る べ き 書 物&quot; class=&quot;embed-card embed-blogcard&quot; scrolling=&quot;no&quot; frameborder=&quot;0&quot; style=&quot;display: block; width: 100%; height: 190px; max-width: 500px; margin: 10px 0px;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;</html>
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  <published>2019-11-08 09:57:15</published>
  <title>殺生功徳論は、単なる人間のエゴにしか思えません。人間は、一度肉のおいしさ、毛皮の温かさを知ったら後戻りできないと思うのですが、いかがでしょうか。　／　仏教的価値観の広まっていた当時の狩猟者たちには、殺生功徳論は生きてゆくために必要だったのではないでしょうか。　／　殺生功徳論について、生きているうちには自殺・他殺・随喜同業のどれかによって殺生をしてしまうので、彼らを殺してしまったからには自分が功徳を積み、報われるようにしなさいという思想ではないのでしょうか？</title>
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