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  <author_name>mitsuroux</author_name>
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  <blog_title>光朗(ミツルー)の日記</blog_title>
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    <anon>ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』を読む</anon>
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  <description>疲れちまった。 今日はとにかく、いや今週は一つの山場で、何とかその峠を越えられた気がする。あとは週末にかけて流していくだけだけれども、そうはいっても後始末だとか、反省だとか、来年に向けてどこを変えていくかとか、色々と、今回の試みを活かしていかなければならない。また、外部への発信の方法についても、もっと考えていかなければならぬ。しかし、今日はとにかく疲れた。疲れ果ててしまったが、まだ、やらなければならないことがある。 故・福田和也の『放蕩の果て』という批評集を読んでいた。いい文章だった。少なからず、文章やそのリズムについて、学ぶところは多かった。江藤淳についての文章も良かったし、福田恆存について…</description>
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  <published>2026-05-21 20:30:12</published>
  <title>山場・ステレオスコープ・わからないということはわかって初めてわかるものだが、わかるということはわからなさに立ち止まらないと訪れない　〜ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』「触覚的立体視の視覚器具−ステレオスコープ」〜</title>
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