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  <author_name>ooioidon</author_name>
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  <blog_title>「おーいおいどん」の家庭菜園・園芸・地域情報</blog_title>
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    <anon>地域情報</anon>
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  <description>定年後に地元の歴史を掘り起こしていく視点を活かし、SEOを意識しながら、若狭と薩摩の比較、柳田國男の記録、テーマ展への期待などを盛り込んだ記事としてまとめました。 # 【若狭の油桐とは】かつて日本一を誇った「若狭油」の歴史を調べてみた｜薩摩藩との意外な共通点 ## 若狭のアブラギリを知る――新聞記事をきっかけに 先日、「若狭のアブラギリを知って」という新聞記事を目にしました。 長年、若狭に住んでいながら、これまで私はアブラギリ（油桐）の存在をまったく知りませんでした。 小浜藩や薩摩藩で、和ろうそくの原料となる櫨（ハゼ）の木の栽培が盛んだったことは知っていましたが、同じように藩の重要な産業として油桐が育てられていたことには驚かされました。 記事によると、現在、地元の博物館でアブラギリに関するテーマ展が開催されているとのこと。 せっかく地元に暮らしているのですから、一度足を運び、若狭の歴史を支えた「幻の特産品」について学んでみたいと思っています。 ## アブラギリ（油桐）とはどんな木？ アブラギリ（油桐）は、トウダイグサ科の落葉高木です。 実の中に含まれる種子から採れる「桐油（きりゆ）」は、古くから日本人の暮らしを支えてきました。 主な用途は、 * 和傘の防水加工 * 提灯や雨合羽の撥水処理 * 木工製品の保護 * 灯火用の油 * 船具や漁具の防水加工 などです。 乾燥すると丈夫な皮膜をつくるため、現在でいう天然塗料や防水剤のような役割を果たしていました。 石油製品が普及する以前、日本人の生活には欠かせない存在だったのです。 ## 若狭は日本有数の「若狭油」の産地だった 調べてみると、若狭地方は江戸時代から明治時代にかけて、日本最大級の桐油生産地だったことが分かりました。 承応2年（1653年）、小浜藩主・酒井忠勝によって植栽が奨励され、常神半島や内外海半島を中心に栽培が広がったといわれています。 若狭では、アブラギリの実を「ころび」と呼んでいたそうです。 丸い実が山の斜面を転がることから、その名が付いたのでしょう。 しかも、シカが食べないため、山に植えておけば実を拾うだけで収入になる「金のなる木」でもありました。 搾られた桐油は、「若狭油」「北国油」として京・大坂・江戸へ運ばれ、日本各地で利用されました。 地元の産業が全国へつながっていたことを思うと、当時の人々の営みの大きさを感じます。 ## 薩摩藩にもあった油桐栽培 さらに興味深いのは、遠く離れた薩摩・大隅地方でも、ほぼ同じ時期に油桐の栽培が始まっていたことです。 承応3年（1654年）、薩摩藩では茶の木とともに油桐が導入され、藩の特産品として育成されました。 薩摩藩といえば、 * 黒糖 * 櫨（ハゼ） * 木実類 * 琉球貿易 などが有名ですが、その中に油桐も含まれていたのです。 若狭が「日本海側最大の生産・流通拠点」だったのに対し、薩摩では財政再建を支える戦略的商品作物として位置づけられていました。 遠く離れた二つの地域が、同じ植物によって藩政を支えていたという事実は、歴史好きとして非常に面白い発見でした。 ## 柳田國男『北國紀行』に見る明治後期の若狭 さらに調べていると、柳田國男の『北國紀行』（明治42年）に、三方五湖周辺の様子が記録されていました。 &gt; 上湖の岸には、油桐と櫨とを交へ栽ゑたり。櫨の木は是より西に行くほど次第に多し。 当時、油桐と櫨が混植されていたことが分かります。 また、 &gt; 桐の實は五斗を一俵とし、一俵より七升から九升の油をしぼる。一俵の相場三圓を上下す。 という具体的な数字まで残されています。 現在の感覚では想像しにくいですが、当時としては重要な換金作物だったのでしょう。 さらに、 &gt; 油粕は肥料として早く腐るからとて愛用せらる。 とも記されています。 現代でいう循環型農業そのものです。 油を搾った後の副産物まで無駄なく利用していた先人の知恵には、感心させられます。 ## 材木としても利用された油桐 柳田國男は、 &gt; 材は下駄にする。櫨の方は材も用をなさず。 とも記しています。 油桐は、実だけではなく木材としても利用価値があり、下駄などの生活用品に加工されていました。 一方、櫨は主として実から蝋を採るための木であり、材木利用は限定的だったようです。 同じように藩が奨励した樹木でも、その役割には大きな違いがあったことが分かります。 ## なぜ油桐は姿を消したのか これほど重要だった油桐ですが、昭和40年代頃になると急速に衰退していきます。 理由は、 * 石油化学製品の普及 * 安価な外国産桐油の輸入 * 和傘や提灯など伝統産業の縮小 * 山仕事を担う人々の減少 などです。 現在では商業的な生産はほぼ行われなくなりました。 しかし、若狭の里山には今も当時の木々が自生しており、往時の繁栄を静かに伝えています。 見慣れた風景の中に、江戸時代から続く歴史の痕跡が残っていると思うと、何気ない散歩も違って見えてきます。 ## 地元の歴史を知る楽しさ 私は長年若狭に暮らしてきましたが、今回初めてアブラギリという存在を知りました。 地元の歴史というものは、意外と身近すぎて知らないことが多いものです。 定年後、時間に余裕ができた今だからこそ、こうした地域の文化や産業の歴史に目を向ける楽しさを感じています。 近いうちにテーマ展にも足を運び、実物の資料や当時の道具を見ながら、さらに理解を深めたいと思っています。 もし、アブラギリについて詳しい方や、昔の「ころび拾い」の話をご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えていただければ幸いです。 ## まとめ｜若狭の油桐は地域の宝だった * 若狭は江戸時代、日本最大級の桐油生産地だった * 小浜藩主・酒井忠勝が栽培を奨励した * 「ころび」と呼ばれる実は農民の貴重な収入源だった * 薩摩藩でも同時期に油桐栽培が広がり、財政を支えた * 柳田國男の記録から明治後期の実態が分かる * 油だけでなく、油粕や木材も有効利用されていた * 現在でも里山に歴史の名残が残されている 地域に埋もれた歴史を知ることは、今暮らしている土地を改めて好きになるきっかけにもなります。 これからも、若狭の知られざる歴史や文化について、少しずつ学んでいきたいと思います。 SEOをさらに強化するなら、次のようなメタディスクリプション（120文字程度）もおすすめです。 **メタディスクリプション：** 「若狭地方で栽培されていた油桐（アブラギリ）の歴史を紹介。江戸時代の若狭油、薩摩藩との共通点、柳田國男『北國紀行』の記録をもとに地域の知られざる文化を探ります。」</description>
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  <published>2025-02-22 09:12:33</published>
  <title>【若狭の油桐とは】かつて日本一を誇った「若狭油」の歴史を調べてみた｜薩摩藩との意外な共通点</title>
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