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  <blog_title>反俗日記</blog_title>
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  <description>2020-06-09第8回「敗北を抱きしめて」ジョンダワー下巻。 末尾引用 「W。ジョンダワーの象徴天皇制批判は、「戦後意識は混濁してしまった」までは納得できるが、その後の下りの批判対象は「天皇主義者」に限定されるものであり、戦後の一般的な国民の天皇意識とかなりずれていると思うので割愛する。」 ↓ 割愛した末尾の引用 「GHQが作った新憲法では天皇は『日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく』と規定された。 ＠そもそも王権を維持することと、裕仁個人を再び神のように持ち上げることとは違うことである。 ＠ところがたいていの場合、この二つは同じである…</description>
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  <html>&lt;iframe src=&quot;https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Fredtigerkun.hatenablog.jp%2Fentry%2F2020%2F06%2F11%2F202232&quot; title=&quot;日本国憲法は成立前後の政治カオス状況において、日米支配層によって予め「憲法の云う主権の存する国民の地位を大きく傷つけ」られていた。憲法所定の「国事行為」だけを行うのが「象徴」としての天皇なのである。天皇が「象徴」であるということの意味は、憲法の明文規定のうちにではなく、従来の天皇が持っていた「象徴」性のなかに見出されることとなり、「伝統」や「慣行」が持ちだされることによって、「象徴」規定自体に独自の意味が持たされることになる。 ＠こうして、天皇の「権威」や「権限」が、戦後「昭和」の時代をつうじて、憲法の枠 - 反俗日記&quot; class=&quot;embed-card embed-blogcard&quot; scrolling=&quot;no&quot; frameborder=&quot;0&quot; style=&quot;display: block; width: 100%; height: 190px; max-width: 500px; margin: 10px 0px;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;</html>
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  <published>2020-06-11 20:22:32</published>
  <title>日本国憲法は成立前後の政治カオス状況において、日米支配層によって予め「憲法の云う主権の存する国民の地位を大きく傷つけ」られていた。憲法所定の「国事行為」だけを行うのが「象徴」としての天皇なのである。天皇が「象徴」であるということの意味は、憲法の明文規定のうちにではなく、従来の天皇が持っていた「象徴」性のなかに見出されることとなり、「伝統」や「慣行」が持ちだされることによって、「象徴」規定自体に独自の意味が持たされることになる。 ＠こうして、天皇の「権威」や「権限」が、戦後「昭和」の時代をつうじて、憲法の枠</title>
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