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  <author_name>shinju-oonuki</author_name>
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  <blog_title>装丁家・大貫伸樹の装丁挿絵探検隊</blog_title>
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  <description>「深川富岡門前町に、伊藤藤兵衛が彩料舗を開いて、ワットマン紙やニュートン絵具を売るようになったのは明治十年のことであり、……画学生には高嶺の花であったのが、明治十二年、村田宗清（安七）がフォンタネージが使った絵具をもとに研究して、国産絵具の製造に成功し、日本橋大伝馬町に、『日本絵具開祖・村田絵具店』の看板を掲げてから、……水彩画の学習も割に容易になったのである。また明治八年頃から、おもに王子製紙から良質、厚手の国産の画学紙が製造されるようになっていた。」（匠秀夫編『近代美術58日本の水彩画』至文堂、昭和55年）と、やはり水彩画を描く環境が整ってきたのは、明治10年以降の事のようだ。 その他にも…</description>
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  <html>&lt;iframe src=&quot;https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Fshinju-oonuki.hatenadiary.org%2Fentry%2F20090623%2Fp1&quot; title=&quot;明治末期に、水彩画のブームがやって来るが、ブームが生まれるには、どうしても誰でもが画材を容易に入手できるような環境が整わなければなければならない。「明治十年から十二年頃までには、絵具に限らず、種々の分野で国産品が登場しはじめている。たとえば、明治八年頃には画用紙が王子製紙によって製造され始め、明治十年には石膏モデルも……東京大学理学部構内工作場で各種の理科実験機材・教具・模型等とともに製作され供給されるようになった。同じ年には銀座の小池卯八郎によって、本格的な西洋製造法に基づく鉛筆が鹿児島産の石墨（グラフ - 装丁家・大貫伸樹の装丁挿絵探検隊&quot; class=&quot;embed-card embed-blogcard&quot; scrolling=&quot;no&quot; frameborder=&quot;0&quot; style=&quot;display: block; width: 100%; height: 190px; max-width: 500px; margin: 10px 0px;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;</html>
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  <published>2009-06-23 00:00:00</published>
  <title>明治末期に、水彩画のブームがやって来るが、ブームが生まれるには、どうしても誰でもが画材を容易に入手できるような環境が整わなければなければならない。「明治十年から十二年頃までには、絵具に限らず、種々の分野で国産品が登場しはじめている。たとえば、明治八年頃には画用紙が王子製紙によって製造され始め、明治十年には石膏モデルも……東京大学理学部構内工作場で各種の理科実験機材・教具・模型等とともに製作され供給されるようになった。同じ年には銀座の小池卯八郎によって、本格的な西洋製造法に基づく鉛筆が鹿児島産の石墨（グラフ</title>
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