<?xml version="1.0" encoding="utf-8" standalone="yes"?>
<oembed>
  <author_name>syoki-note</author_name>
  <author_url>https://blog.hatena.ne.jp/syoki-note/</author_url>
  <blog_title>『初期ノート』解説</blog_title>
  <blog_url>https://syoki-note.hatenadiary.org/</blog_url>
  <categories>
  </categories>
  <description>習慣ということの意味を初期ノートの時期、吉本は執拗に考えています。なぜ毎日を送るのか、なぜこういうことを今日もやり明日もやるのか。はぎ取っていい理由をはぎ取っていくと、習慣と化しているからやっているだけだということしか残らない。その底には生きていること自体が自分が選んだものではないというイノセンス（無垢）が横たわっています。自分の生を自分が選んでいるわけではない、気がついたら生きていた。そして習慣がなんだかじぶんをふつうに他のやつらと同じふうにふるまうふうに律している。だったらにんげんにとって習慣とはふつうに考える以上に重要な意味をもっている。それは受動的な意味だが、受動的なことこそ実は重要な…</description>
  <height>190</height>
  <html>&lt;iframe src=&quot;https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Fsyoki-note.hatenadiary.org%2Fentry%2F20110924%2F1316824920&quot; title=&quot;これを為してどうするのかといふ問いが絶えず僕を追つてゐる。僕は、それに対して何も大切なことは答へられない。完全に答へられない。僕はすすんでこのノートを取ってゐるのではなく、無理にといつて良い程習慣的に行つてゐるにすぎないのだから。習性は僕を生きさせるという教義は、怠惰な僕がひとりでに得た唯一のたのみと言つてよいものだ。（断想Ⅲ） - 『初期ノート』解説&quot; class=&quot;embed-card embed-blogcard&quot; scrolling=&quot;no&quot; frameborder=&quot;0&quot; style=&quot;display: block; width: 100%; height: 190px; max-width: 500px; margin: 10px 0px;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;</html>
  <image_url></image_url>
  <provider_name>Hatena Blog</provider_name>
  <provider_url>https://hatena.blog</provider_url>
  <published>2011-09-24 09:42:00</published>
  <title>これを為してどうするのかといふ問いが絶えず僕を追つてゐる。僕は、それに対して何も大切なことは答へられない。完全に答へられない。僕はすすんでこのノートを取ってゐるのではなく、無理にといつて良い程習慣的に行つてゐるにすぎないのだから。習性は僕を生きさせるという教義は、怠惰な僕がひとりでに得た唯一のたのみと言つてよいものだ。（断想Ⅲ）</title>
  <type>rich</type>
  <url>https://syoki-note.hatenadiary.org/entry/20110924/1316824920</url>
  <version>1.0</version>
  <width>100%</width>
</oembed>
