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  <blog_title>『初期ノート』解説</blog_title>
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  <description>この初期ノートの文章は吉本が米沢の高等工業学校にいた時代に「からす」という、「同期回覧誌」というから同じ学年の学生で作る同人誌なんだと思いますが、その巻頭言として書いたものです。まだ若いころに書いたものですが、それでもその後の吉本の表現についての考え方の根本として動かなかった考察が含まれています。それは文章を書く動機を「その時の何とも言へぬ安心から出発して」と書いている部分です。後年の吉本は（文学というのは、その最初は自己慰安から出発する）と繰り返し述べています。文学というものの始まりは、しゃべり言葉では十分に自分の内面を伝えきれないという不満からはじまり、書き言葉のなかにしゃべり言葉では表出…</description>
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  <html>&lt;iframe src=&quot;https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Fsyoki-note.hatenadiary.org%2Fentry%2F20140322%2F1395458847&quot; title=&quot;唯自分の考へてゐる処を表現しつくして、その時の何とも言へぬ安心から出発してもつと深い自分を見付けて行くのです。文章は少くとも僕達化学者が（化学をするものは皆化学者です。これ以外に化学者の定義はありません）書く時は、その様な安心立命を得るためと、その安心から出発してもつと深い自分を探して行くためであると思ひます。（巻頭言） - 『初期ノート』解説&quot; class=&quot;embed-card embed-blogcard&quot; scrolling=&quot;no&quot; frameborder=&quot;0&quot; style=&quot;display: block; width: 100%; height: 190px; max-width: 500px; margin: 10px 0px;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;</html>
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  <published>2014-03-22 12:27:27</published>
  <title>唯自分の考へてゐる処を表現しつくして、その時の何とも言へぬ安心から出発してもつと深い自分を見付けて行くのです。文章は少くとも僕達化学者が（化学をするものは皆化学者です。これ以外に化学者の定義はありません）書く時は、その様な安心立命を得るためと、その安心から出発してもつと深い自分を探して行くためであると思ひます。（巻頭言）</title>
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