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  <blog_title>『初期ノート』解説</blog_title>
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  <description>北村太郎や田村隆一が少年のころ、この今氏さんを囲む詩的グループに参加していたということは今氏さんも詩を書く人だったんでしょうね。 この場を借りて、「母型論」に関することを補足したいと思います。何度か解説のなかで触れましたが、吉本はアフリカ的段階を探求することは未来の社会を描くことと同じ方法なんだと繰り返し述べています。なぜ大昔を探求することが現在から未来に向かう社会を考えることとつながるのか。その問題について、「琉球弧の喚起力と南島論」（１９８７河出書房新社）に明瞭な記述がありました。それによると、吉本は南島論に着手した60年安保後のころには天皇制を無化するという課題のために追及を始めたわけで…</description>
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  <published>2014-12-27 10:43:07</published>
  <title>後年、照合したところでは、『荒地』の詩人、北村太郎、田村隆一なども、わたしなどとちがつて一種の早熟な詩的少年として、この教師を囲んで時として集まる詩的グループのメンバーであつた。しかし、この私塾の教師は、わたしにとつて何よりもひとつの態度の教習場であり、その意味は、わたしにとつて詩作よりも、もつと深い色合をもつていた。わたしが、いくらか会得した、放棄、犠牲、献身にたいする寛容と偏執は、父とこの教師以外から学んではいない。（過去についての自註）</title>
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