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  <blog_title>『初期ノート』解説</blog_title>
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  <description>有用なものではない普遍性というのは、言い換えれば「無償」ということだと思います。「有用性」は何かの役に立つこと、「無償性」はなんの役にも立たないことです。「普遍性」というのは世界中の誰でも納得する正しさです。自然を相手にしても社会を相手にしても人間を相手にしても、考えに考え続け、実験や検証を繰り返せば「普遍性」に近づくことができる。誰もが肯定せざるをえない正しさに近づく。それを行うのが論理だと考えると、そうした論理的に抽出された普遍性は、今度は個人にとってなんなんだという問題意識が生じます。たとえばマルクスの思想が一定の科学としての普遍性をもっているとして、それが俺にとってなんなんだ、というこ…</description>
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  <html>&lt;iframe src=&quot;https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Fsyoki-note.hatenadiary.org%2Fentry%2F20160516%2F1463361774&quot; title=&quot;我々が存在から普遍性を抽出することは正当であるが、その普遍性は何ら有用なものではなくて、唯存在の確認といふ意味を持ち得るのみであると思はれたのである。これは言はば、論理に心理性を持たせるための基礎的な確信であつたと言へる。（〈老人と少女のゐる説話〉Ⅵ） - 『初期ノート』解説&quot; class=&quot;embed-card embed-blogcard&quot; scrolling=&quot;no&quot; frameborder=&quot;0&quot; style=&quot;display: block; width: 100%; height: 190px; max-width: 500px; margin: 10px 0px;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;</html>
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  <published>2016-05-16 10:22:54</published>
  <title>我々が存在から普遍性を抽出することは正当であるが、その普遍性は何ら有用なものではなくて、唯存在の確認といふ意味を持ち得るのみであると思はれたのである。これは言はば、論理に心理性を持たせるための基礎的な確信であつたと言へる。（〈老人と少女のゐる説話〉Ⅵ）</title>
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