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  <blog_title>『初期ノート』解説</blog_title>
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  <description>「形ない暗黒」とか、そういう文学的な表現にとらわれないで考えれば、自分の実生活、家族とか学校とか会社とか地域とかの自分が生きている小さな生活領域に起こっていることを、歴史的現実という普遍的なものに結びつけて吉本は考えているということです。これは吉本の思想の大きな特徴ですが、それはやはり文学からきているものだと思います。知的な連中というのは案外そういうことをやらないものです。どうするかというと書物を読んだり表現したりする観念的な問題と、自分の実生活とは分離してしまうわけです。例えば観念としては日本が西欧に比べて近代化が遅れているというようなことを知的な世界で書いたり語ったりしていても、実生活では…</description>
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  <published>2016-08-27 12:27:39</published>
  <title>現在僕の周囲を覆つてゐる形ない暗黒が、若し僕の自由を覆つてゐるものであるとするならば、それは歴史的な現実が、形而上学的乃至は心理学的な形象を以て現はれてゐるものであると考へざるを得ない。僕がそれを脱出することは、現実を変革する実践によつて行はれるであらうが、それは同時に僕の生理を変革することに同型である。（原理の照明）</title>
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