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ここは、ある罪を犯して2007年11月19日〜2008年3月25日まで愛知県西枇杷島警察署と名古屋拘置所に勾留されていた時にノートに書き記した事を転載した記録です。

初犯ということもあり、執行猶予の判決が出て今はシャバに復帰して贖罪の念にかられながら日々生活を送っています。

「檻の中の生活」は初めての経験で、自分が想像していた所とは違っていたギャップの部分や、拘置所に移管されてから独りでいた時の些細な事での心情の変化を誤字・脱字等を含めて原文のまま掲載しています。


当初は、自分の備忘録代わりに公開はしないでおこうと思いましたが、釈放後半年が経過した事もあり、公開することにしました。

可能な限り原文に忠実に書き写しましたが、有名人以外の個人名等はプライバシーの問題等考慮してイニシャル等に変えました。

当ブログの有効な使い方が出来ていない故、カテゴリーがメチャクチャになっていますことをお詫びします。

大まかに分けて
「留置場雑記」…西枇杷島署での留置場で書いた物。おおまかに3つのカテゴリーに分類しました。

拘置所日記」…名古屋拘置所で毎日つけていた日記。週ごとに分けました。

「未決収容者用所内生活のしおり」…名古屋拘置所備品のしおりを書き写したものです。

出来たらこんな所には入らないで欲しいという願いを込めて、恥を晒してみます。

2008年9月26日記す

留置場で困った事

 犯罪を犯し、逮捕・拘留される囚われの身なれど、やはり多少の不満も出てくる。
 人間困ったもので、ある欲求が満たされると、また次の欲求が頭をもたげてしまう。
 例えば、タバコでも吸えないと思っていたのが平日の朝に2本も(!)吸えるとなったら、最初はありがたいなと思っても、その内「他の時間にも吸いたいな」と思ってしまう。
 人間の業と言えばそれまでだが、逆に「知足」足る事を知る絶好の機会でもある。そんな魂の簡単な修行(?)もさせて頂けるわけだ。

 しかし、やはり人間、そんな欲求とは別に普段の生活とか違う環境での雑居生活で、「困ったな」と思う事もいくつかある。

 俺の場合はトイレだった。普段でも外のトイレで大をするのが苦手で、腹具合がよっぽどおかしい時以外は大が出にくい。
 ましてやこんな狭い所で見も知らない人間と一緒に見知らぬ場所での共同生活を送っているのだ。しかも運動不足の状態で。
 なかなか出てくれない。週に1〜2回まとめて出るパターンだ。
 せめて独居になってくれたら、変な気遣いもなくもう少し短いスパンで出たかもだが。
 しかも古い和式便所でふんばりが効かない。
 この辺に俺の神経の細さが出てしまっている。

 あとは、二十歳の若僧の不景気なため息やグチ。
 悪い気に取り込まれそうになる。若いんだから、もう少し景気のいい話をしてくれたらいいのに。

 長い人生、1月や2月位は、これも試練と思い耐えるようにはしているが、他人の振り見て我が振り直せの心境だ。

 でも一番困ったのは、名古屋弁がうつった事だわな。

快適な留置ライフのために

 留置場生活が快適に送れるか否かは、一緒に留置される人間との相性による所が大きい。見ず知らずの人間と一ヶ月以上一緒に暮らさなければならない場合もある。
 気の合う人間なら問題はないだろうが、気が合わなそうだったり、いかにも問題ありそうな男だったりした場合、こちらの出方によっては辛い毎日になるかも知れない。
 加えて社会生活においても人付き合いが苦手なタイプ(俺だな)の人も苦労しそうだが、こちらの思い方ひとつでそんな嫌な思いはなくなる。

 相手が苦手なタイプだと思ったら、出来るだけ相手を持ち上げつつ、相手のペースにならないようにすればいい。
 
 前科何犯もあるような懲役太郎なら、相手の言う事に素直に従えば間違いないが、不当な要求をされたら戦えばいい。
 向こうもこんな所で騒ぎを起こしたくないだろうし、最悪部屋変えもある。

 大体同じようなレベルの人間(罪状において、例えば初犯なら初犯同士とか)と一緒になるが、たまにヤクザとか凶悪犯と一緒の部屋になるかも分からない。嫌な場合は担当さんに言えばいい。
 ある程度のリクエストには応えてくれたりする。

 只、気をつける事は一点。私はこれ以上再犯で捕まる気はない。ということを肝に銘じておくことだ。
 いくら気が合ったと言っても留置場内の付き合いだけにしておくこと。
 連絡先交換等はもっての他だろう。実際、初犯の素人がそれによってズルズルと悪の道に染まった例は限りないという。

初公判

 2008年1月25日、待望の初公判が行われた。裁判デビューである。
 事前の弁護士との打ち合わせでは、当日は罪状認否と検察側の証拠提出までで約30分〜1時間かかると聞いていたので、朝・昼食は軽く、水分も極力控えていた。

 12時半頃、迎えの車が来た。予めスーツ姿に着換え、手錠姿で乗り込んだが、何より今年初めて外の景色が見れた事と、1階、つまり地上を踏みしめた事に感動してしまった。

 裁判所に着いてエレベータを上がり○○○号法廷へ。かなり広い法廷だ。
 向いに女性検事、手前にY弁護士がいて準備に余念がない。
 傍聴席には5人ほどのギャラリーがいた。広いのでまばらに座っている。
 被害者の関係者もいたのだろうか?不思議と緊張感はない。

 バタバタした足音と共に判事が入廷。公判開始だ。
 中央に立たされた時、判事席を見たら何と判事が3人!いるではないか!!!
 これにはさすがに面食らった。よほどの大事件の被告である。
 女性検事も緊張したのか、カミカミであった。

 後から、偽造に関わる事件の公判の場合、合議制の裁判になる事を知った。
 それで公判日の調整も難しいのかと納得した。

 検察側の証拠提出も早く、公判自体は15分程で終了した。
 長時間の初公判を覚悟したのに、通常の初公判並の時間になり、少々ガッカリしてしまった。

 護送してくれた人も判事が3人出てきたので、大事件なのかと思ったらしい。
 明らかに皆さんが動揺してたのがおかしかった。

 公判デビューの印象は・・・まぁこんなモンかいな。法廷の大きさと判事の数は満足した。

伸びる判決日

 この時期、名古屋方面は刑事事件での逮捕者が多いようだ。
 俺の公判が遅々として進まない。

 俺がタイホされたのが、2007年11月19日。タイホ状が出たのが20日未明。拘留期間目一杯で12月10日で起訴。普通なら約1ヵ月後の2008年1月10日前後に初公判となるのだが、決定した初公判日が半月ずれた1月25日になった。
 年末年始の休暇含めての事なのかそうかは分からない。
 よく聞いてみると、犯罪者の数が多くて順番が回ってこないようだ。
 刑執行確定者が行く刑務所が定員オーバーで満杯。
 判決を待つ未決囚が入る拘置所も満杯状態で、未決囚を含めたタイホ者の収容される留置場にて拘置所に移るにしても順番待ちだ。

 そんな状態の中、取り調べも終わり、ただ公判日を留置場で待たされるのは、人によっては精神衛生上良くないかも知れない。
 拘置所なら希望すれば独居で一人静かに反省の日々を送れるかも分からないが、留置場だと2人以上の雑居状態が続き、気の合う者ならいいが、気の合わない者と長期に渡って相部屋になると色々不都合だったりする。

 これもシャバなら、イヤなら自分のワガママで離れる事も出来るのだろうが、ここではこれも修行もしくは償いの一環として受け入れ、少しでも快適に毎日を送れるようにしたい所だ。

 こうして長期に留置生活を送ると、自分の長所や短所、得手不得手等がなんとなく見えてきたりする。
 これを今後どう活かすかは自分次第だが、せっかくの機会だ。
 より良い社会生活や人間関係が送れるように使う事を考えてみよう。

留置者№ 少年A

 俺の入ってる愛知県西枇杷島署には5つの留置場があり、1部屋最大3名計15名の犯罪者がMAXで収かんされる。

 収かんされる人間は氏名ではなく番号で呼ばれる事は前にも書いたが、この番号についてもう少し。
 囚人には1〜18までの番号が振り分けられる訳だが、本来なら1〜15番までで済むはずなのに?と思われる人もいるだろう。
 答えは簡単で、所謂忌み数字、4・9の類が欠番になっているからだ。

 従って、使用されている番号は、1・2・3・5・6・7・8・10・11・12・13・15・16・17・18の15種類となる。4,9,14は欠番だ。

 又、空き部屋が出る事はなく、拘置所へ移送やなんかで出る人がいて、空室になるようなら他の号室から移動させられる。
 逆に所轄署で定員を超える犯罪者が出たら近隣の警察署の留置場に預けられる。

 年明け早々、未成年の拘留者が一名入ってきた。
 この場合、少年のプライバシー保護を最優先してか、一室を与えられ成年者達と隔離され収監される。
 この少年の場合、番号は「6」をつけていたが、番号で呼ばれる事はなく、「少年入ります!」と少年呼ばわりされていた。

落ちていく気力と体力

 留置場暮らしも1ヵ月半を過ぎると、自分の中の変化に気付く時もある。
 入った当初は取り調べもあり、物珍しさや緊張感もあるのだが、一段落してしまうと拘置所へ移管されるまで何もない日々が続く。

 俺が留置場にいる時も年末年始に差しかかってしまい、約10日間同じ場所にいたのだが、ふと気付くと、明らかに体力が落ちたのを自覚してしまった。
 ロクに体を動かさず、食っちゃ寝の生活をせまい場所で1月以上もしていたら、体が変調をきたすのも無理はない。
 
 しかも日常生活とは違い、散歩も耳そうじもできないのだ。知らぬ間に体力を奪われている。
 腕立てや筋トレ、ストレッチのマネ事をしても焼け石に水
 それに視界が限られているので、恐らくシャバに出た時には目が回る事だろう。
 いわゆる「務所ボケ」は覚悟せねばなるまい。リハビリには一週間以上必要かな。

 加えて出所後の環境が、以前と同じなら問題もないだろうが、仕事や住まいが変わる。あるいは一緒に住んでた人と住めなくなりそうだと分かった時のショックはかなりある。
 そんな現実的な問題や、明日の見えてこない毎日が続くと人間誰でも弱気になる。

五月病」ではないが、留置場生活も長びくと気力・体力共に低下してしまう。

 これらを全て克服するのは難しいだろうが、工夫次第で少しでも乗り切れるような心構えは必要だ。

 俺の場合、食事を1〜2回抜いたり、プチ新日本プロレス式トレやなんちゃって瞑想したりしている。