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天正3年(1575年)5月、島津家久(しまづいえひさ)は里村紹巴(さとむらじょうは)とともに近江国を訪れる。坂本城(滋賀県大津市坂本)で明智光秀の歓待を受けたあと、名所見物をしながら京へ戻っていく。 帰京後は連歌興行あり。前関白の近衛前久(このえさきひさ)の使者もやってくる。『中務大輔家久公御上京日記』より5月17日~5月23日を。 天正3年5月17日/近江の名所 天正3年5月18日/小笠原殿のと…
復元の奇跡を象徴する、日本初「木造」で甦った四層四階の天守 古写真と「天守雛形」が導いた、100年前の姿への回帰 藤堂高虎・脇坂安治が築いた「連立式天守」の構造美 現存する二棟の櫓「台所櫓」と「高欄櫓」が語る歴史の息吹 肱川の断崖を背負う、要害としての地勢と石垣の意匠 城下町「伊予の小京都」をゆく――歴史の残照を巡る散策 明治の美学が息づく名建築「臥龍山荘」へ足を伸ばして おはなはん通りから赤煉瓦…
<初出:2007年の再掲です> 巻一の六 信長桶狭間から戻ること、付大事にな ること 永禄三年(一五六0)五月十九日午後、陽も傾き かけると『飛び馬』から断片的な知らせが入って くるようになる。いわく「信長一行が桶狭間山に 登ったまま戻ってこない」、いわく「信長一行は 駿河の今川義元の軍を沓掛方面へ押し戻し清洲へ 帰る途中である」、いわく「信長一行は桶狭間山 に登ったが、駿河勢に押し戻されほうほう…
ジムの後、荒川の土手でぼぉーとしていました。程よく風が吹いて気持ち良かったです 今日の東京は一日晴れ。 最高気温は23度。それほど暑く感じなかったですが、日差しは強かったです。 気をつけないと、すぐお肌が焼けてしまうかも…。 毎年GW前後はついつい油断して、顔が真っ黒になり、事務所の皆さんから 「南の島へ行ったんですか~」と突っ込まれることが多かったりする…ほほほ。 (土手でぼぉーとしていると、あ…
3月14日の朝、菊名駅から新横浜に向かって住宅街の中を歩いていきます。 正面に見える小山に篠原城がありました。 平安時代に築城されたといわれる篠原城は、戦国時代は北条氏の支配下にありました。 近くに小机城という拠点城郭がありますので、その支城として機能していたのではないでしょうか。 北条氏の家臣金子出雲が城主を務めていたという話もあるようですが、本当かどうかはわかりません。 城山と呼ばれる小山の頂…
尾張徳川家の登城経路。尾張徳川家蓬左文庫より。 上屋敷(市谷)から 本丸 市谷門→雉子橋門→大手門 市谷門→桜田門→桔梗門 紅葉山 市谷門→半蔵門→吹上矢来門→紅葉山門 市谷門→田安門→同上 市谷門→竹橋門→同上 中屋敷(麹町屋敷)から 本丸 桜田門→桔梗門 西の丸 桜田門→西丸大手門 本丸が公的な登城で紅葉山・西の丸が徳川家としての私的な登城という理解。 コースを江戸切絵図でたどるのは楽しい。
アルバイト感覚で続けている今の仕事、5月が契約更新月です。この程届いた新しい契約書を読むと、うふふ、時給がちょっぴり上がっていました。 写真ACより 春闘時、大企業が発表した「満額回答!XX万円アップ」と比べれば雀の涙にも及ばない金額ですけど、それでもアップはアップ。塵も積もれば山となる。 さあ、また頑張って働くぞ! ランキング参加中雑記 ランキング参加中はてなブログ【シニア部門】
日本100名城巡りの最後を飾るスタンプを押すため、私は愛媛県大洲市、肱川(ひじかわ)のほとりに建つ大洲城を訪れた。 最初のスタンプを押したのは、2014年9月。場所は東京都の八王子城だった。 あの日から11年あまり。季節が幾度も巡り、ようやくたどり着いた100城目が、この大洲城である。
2026年5月5日石垣山城に登ってきました。 続日本100名城126番目のお城です。2回目くらいの登城。 場所はこんなトコ。 山の中ですが、秘策があります。 取りあえず、かまぼこの里の小田原駅です。 ここからは小田原宿観光回遊バス、うめまる号に乗ります。 www.odawara-kankou.com 600円で乗降り自由の便利なバスなんです。 石垣山城にも寄ってくれるのですよ^^10時20分小田原…
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