マインドフルネス、瞑想、坐禅に関するブロググループ
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ヨグマタ 相川圭子 著 永遠版サマディ 頁46~47に、『一瞬、一瞬、注意深く、気づきをもって、自分をチェックしていくことが必要なのです。 自分はいったい何をしたいのか、あるいはなぜ否定的なのかと、あなたの心を見つめることを、習慣にする必要があります。』とある。 自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向ていると、過去の記憶や頭にインプットされたものに囚われて、「こうしなければ・・…
◎天之御中主神と天照大神の間で往来 伯家神道の件で明治中期に明治天皇の決裁で、主神が天照大神にチェンジされたことを知った。それに伴って、掲題を調べてみたところ、神道の主神は歴史的にこのように揺れ動いている。 時代 主導的神格 背景となる社会的要請 古代 天照大神 律令国家の正統性、天皇統治の神格化 中世 天之御中主神 仏教への対抗、神道の哲学的深化 近世 天之御中主神(造化三神) 創造主概念の受容…
メンタルケア心理士に続いて瞑想インストラクターの資格を取得するための試験に挑戦しました。 傍からみると資格マニアのようですが、もちろん僧侶としての資格を活動に生かしたいという思いからです。 メンタルケア心理士も瞑想インストラクターも民間資格で、専用の通信講座が用意されていますが、資格取得の要件は若干異なります。 前者は試験(こころ検定2級)の合格とともに通信講座を修了することが必須ですが、後者は試…
私たちは一日中、思考の中で生きている 私たちは、一日のうちに、実に多くの思考を繰り返している。胸が躍るようなワクワクする瞬間もあれば、過去の出来事を思い出し、後悔や自責の念に押しつぶされそうになる時間もある。 前向きな計画を立てているかと思えば、誰かの何気ない一言に囚われ、深く悩み、怒りに支配されることもある。 そうやって、私は何十年という時間を生きてきた。 すべての人に与えられた「平等なもの」 …
癒しか危険か?その両極を突きつける映画と現実の交差点 映画「サウナのあるところ」は、サウナ発祥の地フィンランドを舞台にしたドキュメンタリー。アキ・カウリスマキの作風に通じるものがあり、「ととのう」ではなく、生き方としてのサウナが描かれる。映画をみて高まる行きたいという衝動と、2025年赤坂サウナ火災死亡事故による怖さ。その両方を同時に抱えて足が止まった人も多いはず。この記事では、映画と事故を重ね、…
横浜みなとみらいの夜景を…おしごとの打合せ後、帰り道にて一枚パシャリ♪ 今日の東京は一日曇り。 朝の気温は3度。もうすっかり冬ですね。 樹々も落葉が進んで、公園も落ち葉でいっぱいです。 朝は寒くてなかなか布団から出られませんね…ワタクシ寒いのダメダメなので、 もぞもぞ布団の上で毛布を身体に巻いて、ミノムシさん状態です…ほほ。 お仕事のときはコートが必須となりました。あぁ、早く暖かい春が来ないかな……
個人の癒しと社会の癒し。 癒しは、個人のためだけでなく、 社会の健康のためにも大切なものです。 自分が癒されていくことで、 歪んだものの見方がほどけ、 事実を事実として、 はっきりと見る力が戻ってきます。 そして、自分が癒されると、 無意識のうちに他者を自分の歪みに巻き込んでしまうことも、起こらなくなっていきます。 組織やコミュニティでは、 まだ自分自身の癒しに向き合うための サポートや余裕を持て…
次のようなことを考えたことはありませんか? 「ある日突然、自分が記憶の全てを無くしたとしたら、どうなるのだろうか?」と。 事故や災害などで、いつそのようなことが起きないとも限らないし、老年になれば病気、例えばアルツハイマー型認知症などで、自分が自分であるという意識も無くなる(見当識障害を起こす)ことも珍しくありません。その時、「自分」は一体どこに行ってしまうのでしょうか? 「自己同一性(自我同一性…
静けさの中に身を置く ― 心のざわつきをそっとほどく時間
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