歴史好き達によるグループ。 源平でも、南北朝でも、戦国でも、幕末でもOK
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ブログを開設してから2年4か月が経ちました。タイトルは2周年となっており、この記事は7月にUPする予定でいたのですが、継続中の仏教シリーズの腰を折るのもなんなので、ひと段落したところで記事をUPした次第です。 さて細々と続けている当ブログですが、おかげさまでようやく、トータルで3万近いPV数に達しました。吹けば飛ぶようなPV数ですが、1日あたりのPV数は増えています。1年前の記事を見てみると、1日…
カンボジアの水道を再建せよ 今回は内戦でグチャグチャになった国の社会インフラの整備に尽くした男たちの物語。 内戦後のカンボジアでは7割以上の世帯に水道が届いておらず、子供や女性は水汲み作業に忙殺されていた。しかもその水は安全性が保障されていないものだった。 北九州水道局の久保田和也。彼はこの不本意な配属に10年間異動願を出し続けていたが叶わず、やむなく諦めて水道仕事に打ち込むことに腹をくくっていた…
火を点けてまいれ。小さな炎ではなく、この日乃本を燎原(りょうげん)の火で包んでまいれ。任せたぞ、小一郎 歴史人2024年11月号 ABCアーク Amazon 天離り果つる国(上) (PHP文芸文庫) 作者:宮本 昌孝 PHP研究所 Amazon 永享十三年(1441年)十月 播磨国(現在の兵庫県西南部)赤松満祐(みつすけ)の居城城山(きのやま)城 赤松大膳太夫(だいぜんだゆう)満祐は、播磨、備前(…
7時過ぎに起床 朝の風景 駅方面 1Fで朝食 まあ普通か。しかしお金を払って食べると6000円ってありえん。 名古屋観光ホテルの向こうに廃校らしき建物が。。 調べたら御園小学校で2023年に統合により閉校した。長岡までのチケットをえきねっとで購入10:49名古屋発 → 長岡は14:19 3時間半 東京から上越新幹線とき321号はグリーンが混んでたためグランクラスへ。浦佐あたり 妹と義弟とラーメン青…
邪馬台国までの残る旅程について考えた話です。 不弥国までは辿り着いた 投馬国、邪馬台国への旅程 それ程遠くない 不弥国までは辿り着いた 前回まで13回に渡って、『魏志倭人伝』に描かれた、帯方郡から邪馬台国までの旅程と、関連する記述に関して考えて来ました。 帯方郡 ↓ 南へ、東へ、水行、7000余里、狗邪韓国に至る ↓ 海を渡る、1000余里、対馬国に至る ↓ 南へ、海を渡る、1000余里、一大国に…
国民的超人気大河ドラマ『光る君へ』ですが 感想も書いてないし、リアルタイム視聴もあまりしてないけど… 録画でしっかり観てますよ! そんな訳で来たる2024年10月19日㈯に 『光る君へ』×『おじゃる丸』 特番「ヘイアンチョウまったりホリデイ」が放送。 ネタバレを含みつつ長ったらしい感想・レビューでも書いていきますかね!! www.nhk.jp 【全員かわいい】大河ドラマ「光る君へ」と「おじゃる丸」…
「正宮山植杉記」碑というのが、鹿児島神宮の境内の杉林にある。 鹿児島神宮は鹿児島県霧島市隼人町内に鎮座。旧称は「鹿児島神社」。八幡信仰も重ねられて「大隅正八幡宮」とも称した。 鹿児島神宮の社殿の裏には、末社の稲荷神社へと続く参道がある。こちらを登っていくと、途中に大多羅知女神社(おおたらちめじんじゃ)と山神神社(やまのかみじんじゃ)が並ぶ。 大多羅知女神社と山神神社 鹿児島神宮についてはこちらの記…
津久井城 再訪2の続きと参ります。 今回も山頂要害部ですが主郭部を後にして「飯縄郭」から「鷹射場」を経て東側の登山道を巡ります。 では初めに山頂部縄張り図に再登場して頂き 男坂・女坂の登山道が合流する尾根鞍部の堀切から 再開です 前回も登場した画像です。 飯縄郭へは画像奥の稜線道を進みます。 進むと言ってもですね すぐに虎口が見えてきます。 もう少し寄ってみましょう。 切通し状の虎口ですね、現在は…
平和公園にある平和祈念像へ…この日は曇り空でした(静かにお祈りさせていただきました) 今日の東京は晴れ。気温は18度。 昨夜からの雨も上がり、涼しく感じる一日でした。 先週は出張が続いて、週末はちょっとよろよろ…。 金曜日も出張先から帰宅したのは夜10時半。 シャワーを浴びて、さぁ寝ようかな…と思ったら、秋田の息子さんから電話がプルプル♪ (久しぶりによもやま話をしておりました~😊) そんなこんな…
平安時代の裏の支配者は、藤原氏です。 藤原氏の先祖は、朝鮮半島からやってきた、といわれています。 ということは、平安時代の日本は、朝鮮半島の人間に支配されていたことになります。 そんな、ややっこしい平安時代の藤原氏の先祖について、語っていきます。 この記事は動画でも公開中です https://youtu.be/9P80jhlLz_I 藤原氏が渡来人である証拠を抹殺した 藤原氏の祖である中臣鎌足は、…
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