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赤坂見附駅近く、紀尾井町の弁慶橋です。 案内板がありました。 もともと岩本町のあたりを流れていた藍染川に弁慶橋という橋があり、その橋の廃材を使って架けた橋なのでこちらも弁慶橋と呼ばれているのですね。さらに弁慶といっても源義経の武蔵坊弁慶とは関係ないようで、元の橋を弁慶小左衛門という人が架けたことから名付けられたということです。 近くには紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡の碑もあります。 釣り堀もあって、のど…
こんにちは 城巡りより登山がメインになってしまった ハナです でも、城が嫌いになったわけじゃないので ご安心下さい 関西1ディパスと青春18切符の廃止により 遠出ができなくなってしまいました 近場の気にる城跡は行ってしまったので 困ったものです 遠出するのきは、名古屋の城友さんを誘うしか 手立てがありません あっ!決してアッシー君にしてるつもりはない ちゃんとお礼もしてますよ(笑) 今日は先日縦走…
神出鬼没、まっさんです。 岐阜県に遊びに行ってきました。 まず向かったのは、日本最大の古戦場、 「関ヶ原町」です。 2020年にオープンした関ヶ原古戦場記念館に向かいました。 車で東名から名神高速を走らせていると、養老辺りまでは良いお天気.. でしたが、関ヶ原へ入るとどんよりしたお天気に。 雪です。 冬に東から西へ向かうと、関ヶ原で景色が、一変するのがたまらないですね。 ただ、近年の関ヶ原は昔ほど…
この前、出張から札幌に陸路で帰ったんです。 新函館北斗で乗り換えで一旦下車することができたので、ずーしーほっきーを撮ってみました。 色が変わるんですよ。すごい。 夜のずーしーほっきー
通算278話すでに上杉方の敗北は定かなり、大将上杉謙信も高梨山の方に逃れていくのを、いよいよ勢い増して武田の精兵は逃げ遅れる越兵を討ち取り、なおも「謙信は高梨山へ逃れていくなり、どこまでも追って謙信の首を得て手柄とせよ」などと言いながら犀川を越えるところに後の方に一流の旗を川風になびかせて、其の勢およそ一千騎、上杉相伝の龍の丸の備えに押し立てて一隊きぜんと現れる。遮る武田勢をものともせず、筑摩川の…
千葉市中心部分に古い歴史が詰まっているような高台(地名は猪鼻あるいは葛城という)の東端下を通る狭い道がある。 この道はほとんどそのまま進めば市原市(上総の国)に連なる。高台の反対側(写真左側)の数キロ先は東京湾となる。 私はこの道は奈良平安時代の古代東海道と思っている。 逆方向から撮った写真がこれ もう少し拡大し、明治初期と現代を比較するのが次の地図 理由は京へ向かっての直進性と最短性。岩のない千…
ブログ自体ご無沙汰してしまいましたが、本日2024年12月14日時点であまりこの点を説明している記事がなかったので整理することにしました。 同じような混乱をされる方や、思わぬ支出をされる方が発生しないように参考になれば幸いです。今回も結論から書きます。 ■結論 ・前提として、「楽天ポイント」を楽天証券利用時の視点で考えたときに、 積立投資等に使える「①投資可能ポイント」と、 積立投資等に使えない「…
後亀山天皇陵は嵯峨嵐山にありました。 住宅街ですが、自然と一体化して雰囲気あります。 後亀山天皇は、第99代の天皇で南朝第4代になります。江戸時代までは、後亀山天皇の皇位が認められていませんでしたが、明治時代に南朝が正統とされたので、歴代天皇に加えられることとなったそうです。 1383年に長慶天皇の譲位を受けて践祚。 在位の9年間は、南朝政権はどんどん衰えていきました。南朝の影響力は、大和・河内・…
中世の大和国、とりわけ南北朝時代から戦国時代にかけて、在地領主として活動したのが、興福寺の衆徒・国民であった大和武士たちです。 当ブログ内のシリーズ記事「大和武士の一族」では、中世大和で活躍した大和武士の各一族歴代をたどり、大和の中世においてどのような活躍を見せたのかを紹介しています。 初回となった前回は、安土桃山時代に大和国の覇者となり、近世大名へと飛躍した筒井氏の事績について紹介しました。 今…
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