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2026年3月20日、京橋川沿いのシダレヤナギにて、花幻忌の集いを行いました。原民喜は、1951年3月13日、国鉄中央線に体を横たえ、自ら命を絶ちました。それからちょうど75年という節目での集い。朗読や歌を通して、約40人が想いを馳せました。 なお、この集いは、中国新聞、毎日新聞にて取り上げられました。 花幻忌「民喜の思い継ぐ」 中区 京橋川沿いでしのぶ集い | 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンタ…
浜松市浜名区の伊平基幹センターで、直虎顕彰会主催の「引佐の山城を歩く 井平城址編」を聴講。講師は加藤理文先生。貴重なお話を聞けた。 にの氏がみえられていたので挨拶をしたら、初対面のような顔をされ、「高橋です」と名乗ってようやく認識していただけた。今日は眼鏡をしていなかったので誰だか分からなかったらしい。 ランキング参加中歴史
アメ横のルーツは敗戦直後の闇市。 高架下などに当時の面影が残る、東京の観光名所です。 生鮮食品や衣類雑貨店、飲食店などが目立ちます。 成田空港と直結する京成上野駅の近くという事で、来訪者の7割が外国人観光客だそうです ^ ^ いわば異文化のるつぼ d(^_^o) 海鮮丼からケバブまで、カオスな食文化と食べ歩きが楽しめる、インバウンドの聖地です(^.^)v 訪日中国人の旅程(バス、免税店、レストラン…
今回は松山訪問。過去にも訪れたことはありますが、改めてじっくり巡ってみました。 まずは松山城です。 歴史 松山城は、1602(慶長7)年に伊予守護・加藤嘉明によって築城が開始されました。完成までに約25年の歳月を要し、四国最大級の城郭となりました。その後、蒲生氏、久松松平氏へと城主が引き継がれ、江戸時代を通じて伊予松山藩の政治の中心地として機能しました。現在の天守は、1784(天明4)年の落雷によ…
天正九年(1581)の三原の住人。同年、伊勢神宮の御師村山親安に対し、檀那として献納を行っている。これ以前、三原要害の八幡原氏とともに生口島の調略に尽力した可能性がある。 三原在住の檀那 生口島への調略 参考文献 三原在住の檀那 伊勢神宮の御師(神宮参詣の世話をする人)村山親安が天正九年(1581)の檀那(御師の世話を受ける参詣者)を書き出した記録『村山家檀那帳』に、「備後三原」在住の檀那として、…
人生の真の目的は霊的成長、この一語につきます。その視点からみれば、物的財産が増えたことで偉くなった気分になる人は、とても浅はかで価値観が明らかに間違っています。悟りを開いた人は同じく財産と呼べるものでも、一旦身に着けたら二度と失うことのない永遠の財産、すなわち霊的知識を求めます。モーリス バーバネル 人と自分の人生を比べることは、全く意味がない 生命の本質は霊的なもの*物質をこえたところに真実があ…
本日も「鉄道唱歌の話」にご乗車くださいましてありがとうございます 伊予鐵道唱歌 五 濱の松原はや跡に なりて迎ふる古町驛 まぢかく仰ぐ勝山の 城に昔ぞ忍ばるゝ
黒井(保月)城本丸石碑 お城大好き雑記が紹介するお城探訪記も、なんと第154回目になりました! 154回目は、兵庫県丹波市にある黒井城を紹介しますね。 *黒井城とは? *黒井城の歴史(築城から廃城まで) *黒井城|現存する遺構・見どころ *黒井城の雑学:興禅寺と春日局 *黒井城詳細 *黒井城とは? 黒井城は、明智光秀の丹波攻めに徹底的に戦い、「丹波の赤鬼」といわれた荻野(赤井)悪右衛門直正(なおま…
九 台湾の独自性と中華化 (2)オランダ統治と先住民社会の変容 台湾島は地理的には中国大陸の島嶼部とも言えるため、早くから漢人の手が伸びても不思議はないはずだったが、中原の覇権競争に明け暮れた時代には、海洋進出は漢人の関心外であった。明朝も海禁政策を採ったため、漢人の海洋進出は澎湖諸島を限度とし、台湾には到達していなかった。 数千年単位での伝統的定常社会が続いていた台湾が大きく変化するきっかけは、…
[ おみあしじんじゃ ] 飛鳥のキトラ古墳壁画体験館 四神の館で、国宝壁画の公開に申込んだことから、近接する当社つまり檜隈寺跡を訪問しました。キトラ古墳壁画は、西壁の白虎と東壁の青龍を20分ほど拝見でき、特に白虎の生き生きした描き方に関心しました。世界文化遺産の登録を目指す飛鳥歴史公園の中でも南側のキトラ古墳周辺地区にあたる地域で、当社檜隈寺跡とキトラ古墳が主要遺跡に位置付けられています。地区内に…
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