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最終章 君がいる世界 最初に感じたのは、消毒液の匂いだった。 次に、全身を鈍く苛む痛みと、自分のものとは思えないほど浅く、か細い呼吸の音。 ゆっくりと、鉛のように重い瞼を持ち上げると、視界に飛び込んできたのは、見慣れない白い天井と、規則的な間隔で点滅する機械のランプだった。 (……ここ、は……) 病院。集中治療室、だろうか。 身体のあちこちに繋がれたチューブと、右腕にずしりと感じるギプスの感触が、…
リモートワークだから気を抜くと一週間家から一歩も出ないということがある。冷蔵庫の中が空っぽになったから仕方なく食料を調達しに行き、そういえば久しぶりに外に出たなと思い出す。気がつけばだいぶ肉もついて来ており、体も鈍っているから散歩をするようにしている。昼休みには2キロぐらい、休日は5キロぐらい。そのぐらいの軽い運動で体をほぐして、セロトニンを分泌させている。 昨日から散歩中に相対性理論の『TOWN…
人間に生きる意味はあるのか。 人間は時間があると、たまに人生の意味などについて考えてしまう。 ドーキンスは、歴史的ベストセラー『利己的な遺伝子』のなかで、生命機械(おもに人間をふくめた動物と植物)の個体は、遺伝子の乗り物=ヴィークルでしかないと結論した。 つまり、太古に地球上に誕生した無防備な遺伝子が、『殻』をまとうためにつくったのが、『生命』だということになる。 生命が存続するために遺伝子が存在…
いつもの通り道。自宅から駅へ向かう一本道の途中に、中古バイク屋がある。通勤前の眠い目で前を通り過ぎるたびに、店先に並ぶスクーターの影が視界をかすめる。けれど、これまで足を止めたことはなかった。 ところが、その日は違った。店先に貼られた一枚の写真に、思わず目が吸い寄せられたのだ。 夏の江の島。陽にきらめく海と、白く盛り上がった雲。そして写真の下に添えられた短いコピー。 「あなたも、自分だけの足で旅に…
1. 遭遇 ― 白い紙の衝撃 初詣。 人混み。 屋台の焼きそば。 鼻毛にからみつく線香の煙。 僕は神社でおみくじを引いた。 ガラガラガラガラ。 カラン。 白い紙が出た。 ……真っ白。 「え、これ……印刷ミス?」 と思った瞬間、巫女さんが囁いた。 「それは、あなた自身で書き込む運命です」 うわなにこのRPGみたいな設定。 テンション爆上がり。 僕はペンを取り出し、白紙に書き込んだ。 「大吉!金運爆上…
〈第一話 静雨譚〉 雨は、降り続いていた。 それは濡れない雨。 雲の縫い目から零れ落ちるような細い粒子は、掌に受けても水滴にはならず、ただ微かに肌をくすぐって消えていく。 この雨が降り始めてから、季節は変わらなくなった。冬は遠のき、夏も来ない。街は、同じ温度と光の中で緩やかに時間を繰り返している。 世界の人口は半分になった。 消えたのか、去ったのか、それともどこかへ移されたのか──誰も知らない。た…
それは夏の午後のことでした。 風も無く空はすっきりと晴れており、動物園の園内はギラつく太陽に炙られて、干上がるような暑さです。 巨きな体で人気の象さんも、百獣の王ライオンさんも、スーパーモデルのようなスタイルを誇るキリンさんも、猿山にたむろす猿さんも、いささか暑さにぐったりとしています。もともと暑い国を故郷にしている彼らですが、だからといって日本の暑さが全然平気というわけでもないのでした。 もちろ…
ご無沙汰致しております。 春から仕事の畑がガラッと変わり、距離感と捉え方がよくわからなくなり、何やら迷走中の筆者です。やりたいことは何だっけ、しかしこれがやらないといけないことにいつの間にかすり替わり、遠い向こうをみていたはずなのに目の前に焦点が合っている。我武者羅に、の年齢は最早通り越していて、駆け出しの頃の憧れってあったかな、と忘却曲線が跳ね上がっている。今はそんなことを思いながら人生のオーバ…
第一章 「水無瀬晶の弟」 俺の姉について話しておきたい。 水無瀬晶は厭なやつだ。無神経で傍若無人でニコリとも笑わない。性悪な女だ。 姉といっても、血は繋がっちゃいないんだけど。ただうちの母親とあいつの父親が結婚しただけ。よくある話だ。晶と俺とは血が繋がっていない。ーーーそれを俺は喜ぶべきなのかもしれない。あんなに生きづらそうにしてる義姉を見ていると余計に。厄介な性質を、もしも俺も受け継いでいたらと…
ルーティーンは大切だと、いつか聞いたことはある。たぶん二十歳そこそこの頃だろう。「何事も継続が大事だよ」と、学校では教わった。あれから三十年以上が経った。世の中は様変わり。とてもじゃないが僕のチンケな頭では想像できない、理解できない複雑な構造をした便利なモノが現代には溢れかえっている。 アラームは六時よりだいぶん前の四時半にセットされている。夏なのでその時間には外は明るくなり始めている。気温は30…
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