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神を知ることによってはじめて人生の意味と、世界の真理と歴史の意味を知ることができます。人生の目的も確かなものとされます。ではどのようにして神を知ることができるのでしょうか。聖書をとおしてです。聖書なしには神を知ることはできません。聖書はキリスト教信仰にとって、まさに命のように大切な書物です。 そこにどなたがおられるのかはわからないが、何かありがたい気持ちになって、自然に涙があふれてくる―そういう意…
(今回は、神の御子としての自覚をもたれている少年のイエス、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・2章の48~52節より 『両親はこれを見て驚き(=迷子と思っていたイエスが、エルサレム神殿で律法学者たちと神について語りあっているのにおどろき)、そして母(=マリヤ)が彼に言った、「どうして(=一緒に帰らずに)こんな事をしてくれたのです(=この表現から、おそらくイエスはひと区切りつくなりして…
4月26日
新緑が好きという君連れ出してたまにはそよぐ心聞かせて-------------新緑が好きだという君は 聞かせてと言っても言わないことはわかっているだから 耳を澄ませます君がそよいでいる 聞こえないような微かな音を-------------オルガンレッスンのため神戸改革派神学校へ行く日
(神様は私に、具体的な人々を示しながら少し教えられた) 人々のあいだで「みなしごの霊」が働いているとき、彼らは徒党を組んで生きようとする。彼らは、自分の法律でおさめる独自の王国を持とうとする。そこには、カウンターカルチャーがある。 彼らはまるで、戦争孤児のようだ。自分で自分を守ろうと、武装しているのだ。しかし、神はみなしごの父である。 娘よ。あなたは霊の孤児院で、みなしごたちの世話をする。 定まっ…
今、私たちが使用している聖書は新改訳聖書2017(第四版)です。以前は新改訳聖書第三版を使用していました。 改訂でより良い訳になっているとは思いますが、前のほうが好きだったなと思う箇所もちらほら。 例えば、ルカの福音書の一章四十五節。今は「信じた人」となってる箇所、前は「信じきった人」。 「信じた人」と「信じきった人」では受ける印象がだいぶ違います。 同様にエペソ一章二十三節。「すべてのものをすべ…
前回に引き続き、因果応報という考え方の問題についての解説です。 3.旧約聖書の場合(続き) さて旧約聖書の中には、善人は良い報いを受け、悪人は悪い報いを受けるという、(因果応報の)考え方があります。 ですが、旧約聖書の中には、単純にそうだとは言い切れない所があります。 特に旧約聖書の「伝道の書」には、そうした応報思想に棹さす記述を、はっきり見てとる事ができます。 伝道の書については、以前にも解説を…
今日の箇所は話では視覚的にも興味深く、よく知っていましたが改めて学ぶ機会となりました。 一行がカファルナウムに来た時、神殿税を集める人々がやってきて、「あなた方の先生(イエス様)は神殿税を納めないのか?」と聞きました。そしてペテロは「納めます」と答えたのです。 それを聞いたイエス様はペトロを批判するのではなく、諭すように教えました。 「地上の王たちは税や貢物を誰から受け取るか?自分の子供からか?そ…
いろいろ難しい できない事が多いようだ。
使徒行伝 4:12 [12] この人(イエスキリスト)による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。 Acts 4:12 ESV [12] And there is salvation in no one else, for there is no other name under heaven given among men …
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