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マインドフルネスとヴィパッサナー瞑想、坐禅の違いについて、あらためて考えてみたいと思います。 マインドフルネスは、もともと上座部仏教が用いるパーリ語仏典における「sati(サティ、念、気づき)」を英訳した言葉です。 マインドフルネスが興隆する前段階として、タイの上座部仏教の僧侶アーチャン・チャー(1918~1992年)と、ベトナム出身の禅僧ティク・ナット・ハン(1926~2022年)の活躍による、…
以下に池田先生の指導を引用する。 『池田大作全集』第69巻 (1987年11月2日<昭和62年>「創価班」「長城会」第二回合同総会・405頁) 「人を集めるだけでは意味がない。一つの目的に向かって、その力を価値的に用いていかねば、時代は動かせない。」 以下は、上記の指導を踏まえた、私自身の受け止めである。 人を集めるだけでは、管理でしかない。 会合のための会合、幹部が安心するためだけの集まりは反価…
【(イザヤ書 50:4-7)聖句の理解】私たちの主なる神が与えてくださる力を受け入れ、他人を赦す道を歩むことは、信者としての使命です。神は私たちに弟子としての舌を与え、疲れた者を言葉で励ます術を教えてくださいます。主は常に私たちを見守り、朝ごとに呼び覚まし、耳を開かせてくださるのです。これにより、私たちは神の意志に耳を傾け、他者への愛と赦しを学ぶことができます。主なる神が私の耳を開かれたことで、私…
ヨグマタ 相川圭子 著 永遠版サマディ 頁126~127に、『人間はエゴによって、私のもの、私の土地といった執着や苦しみによって、戦争を起こします。 そのように外の世界に疑いがあり、平和がありません。』とある。 自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、過去の記憶や頭にインプットされたものに囚われて、「こうしなければ・・・」「ああしなければ・・・」というもので、自分で自…
いつもみなさん、ありがとうございます。 さて今回は、今後ブログでやっていきたいことの一つ、「牧口常三郎の思想の検証とその批判」について、少しその構想を示してみたいと思います。 私はこのブログで池田大作氏、戸田城聖氏を批判的に検証しています。彼らにどれだけ悪意があったのか、どれだけ会員を利用していたのかについては議論があるでしょう。本当の心はわからないものですし、検証もできないものです。しかしこのブ…
hiruandon-desu.hatenablog.com シャンカラ(約700-750年)が何故、最高原理であるブラフマンのみの真実在を主張し、それが制約を受けた人格主宰神であるブラフマンとそこから展開する「世界」を虚妄であるとする「不二一元論」を提唱することになったのか?その理由と考えられる点について今回は触れていきたいと思います。 〇自己(アートマン)は世界の内か?世界の外か? hiruan…
今日は麻雀仲間との久しぶりの麻雀だった。 何と、私は麻雀が上手くなっていた。 武術で練習している意識の使い方が、麻雀にも応用されていると感じる。。。 意識の使い方はすべてに応用が聞く。 というか、意識をしっかり使えないと何事も上手くいかないのだ。 意識の使い方が上手いとは、いわゆる集中力とは違う気がする。 私のイメージでは、集中とは日光を虫めがねで一点に集めるような物だと捉えている。 一方で意識を…
近年は土の時代から風の時代に変わったという話が至るところで話されています。 「頑張らなくて良い」 「努力しなくて良い」 「我慢しなくても良い」 「好きなことをやれば良い」 「昭和の終身雇用制度は崩壊した。会社などすぐに辞めて次々と転職すれば良い」 霊能者と呼ばれる方々やカウンセラーという方々多くの方々がそのように言われるのを頻繁に耳にします。 かつての土の時代と言われる期間、財産や土地、肩書など形…
Blue あなたとわたしの本 275 何かを成し遂げなければ成功とは言えない──。 僕たちはいつの間にか、そんな思い込みに縛られてはいないでしょうか。 早くどこかへ辿り着こうと焦ったり、手に入らないものを求めて項垂(うなだ)れたり、あるいは自分を責めたり、憤(いきどお)ったり──。 そんな日々に疲れを感じているあなたへ、今日は語ってみたいことがあります。 自然の中で直覚した、成功の新たな定義 につ…
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