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あなたへ あれ?おかしいな ねぇ、あなた そう言えば、飴は? 飴はどこですか? 空を見上げながら、こんなことを考えていたのは、先日のことでした。 あなたは、スパルタ教育の神様であるのだと、 こんな手紙を書いたのは、 冬の中でのことでしたが、あの手紙を書いた日の私は、 確かに、大きな飴をお願いしました。 だって、私はとても頑張った筈だもの。 とても大きな大きな飴をお願いした筈だったのに、 あれから先…
最近涙もろくなった理由|介護福祉士として気づいた「心の変化」と年齢の関係
人の器とは換言すると「その人の心の広さと深さ」である。こんな風に辞書には書いてあったり、AIが説明したりしますが。 「器が大きい人」の本質は、心が広いとか深いとかそのような抽象的なものではなく、「自分と他人を切り離して考える能力が高い人」という意見あり。 ーーーーー 器が大きい人は「何でも許せる人」ではない。 一見、すべてを許しているように見えても、単に感情を処理できずに飲み込んでいるだけかもしれ…
キンドル本買ってくれよ南無阿弥陀仏 楽市楽座で検索御願いする南無阿弥陀仏 YouTubeチャンネルやっいるよ南無阿弥陀仏 何方も面白過ぎよ南無阿弥陀仏 観て観てちょ南無阿弥陀仏 名古屋市に住みたいよ南無阿弥陀仏 名古屋市は飯がうまいよ南無阿弥陀仏 しかし私自身は飯が食べれ無いのよ南無阿弥陀仏 その理由は内緒🤭よ南無阿弥陀仏 しかし今日は寒いよ南無阿弥陀仏 まだまだ3月は寒いよね南無阿弥陀仏 私自身…
インドにおいて論理学研究はかなり古い時代から行われており、仏教では『方便心論』のような書が著されました。仏教では論理学のことを「因明」と呼びます。しかし、論理学を組織的に大成したのはニヤーヤ学派であり、「ニヤーヤ」とは元来「理論」「正理」という意味で、後には論理学的研究一般の呼称となり、その本質は理論をもって真理を探究することであると考えられました。ニヤーヤ学派の開祖はガウタマ(50-150年頃)…
以下に池田先生の指導を引用する。 『池田大作全集』第71巻 (1988年8月7日<昭和63年>第一回未来部総会・344頁) 「いったん全滅の状態になったとしても、"根”が残っているかぎり、信仰は滅びない。そこからまた、しぶとく広がり、繁茂していく。迫害され、たとえ殺されようとも、絶対に信仰をたやさない。この不屈の魂こそ、宗教の真髄である。」 以下は、上記の指導を踏まえた、私自身の受け止めである。 …
【(ダニエル書 12:1-4)聖句の理解】ダニエル書の言葉によれば、終りの時、大天使長ミカエルが立ち上がる瞬間が訪れる。彼はまさに苦難の時に、あなたの民の子供たちの傍らで立っている。国が始まって以来、これほどの苦難はなかったと言われるが、そこには希望が満ちている。そのとき、かの書物に記録された者たちは救われ、地の塵となって眠る人々の中から多くが目覚める。永遠の命へと進む者もいれば、そしりと永遠のと…
一般の読者の方もおられるから、まずは「秉炬師」という言葉について説明せねばなるまい。これは、僧侶、しかも住職などを務めた「尊宿」に対する葬儀の時に用いられる言葉で、「炬」とはたいまつのことで、「秉」とは(棒状の物の柄などを)執ることを意味するから、「たいまつを執る人」の意味である。 分かりやすくいうと、仏教という宗教は、開祖である釈尊(釈迦牟尼仏)の時代から、亡くなった人に対する葬儀は火葬で行うこ…
ヨグマタ 相川圭子 著 永遠版サマディ 頁214~216に、『心を浄化し、理解し、手放し、「空っぽ」になっていくのです。』とある。 自分が自分だと思い込んでしまっている自分(偽我)に意識が向いていると、過去の記憶や頭にインプットされたものに囚われて、「こうしなければ・・・」「ああしなければ・・・」というもので、自分で自分を縛ってしまい、視野が狭く、物事を偏って捉えてしまい、何事にも上手くいかず、悩…
お読みいただき、ありがとうございます✨ 父の一周忌に焚かせていただくお線香を作りたい!とリクエスト 先月、ヒーリングサロンCALMEさん(香司せきもとえりかさん)にて お線香「愛」さんを、手作りさせていただきました✨ いつものごとく、サロンさんは、とってもいいかほり✨ そして、はじまりから、呼吸深まり、ほっとします。 うれしい、ウェルカムいのちさんたち✨ ありがとう!美味しくいただきながら、色んな…
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