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神武東征「カンタケのヤマトウチ」29アヤでは、「烏と鴫と鵜」が登場します。「ヤタノカラス」と「兄シギ」「弟シギ」と「黄金ウノトリ」です。 記紀神話とホツマ伝では、異伝を伝えるので注意が必要です。 1.記紀では「ウノトリ」は登場せず、瑞兆となるのは鵄(トビ)=金鵄(キンシ/金色のトビ)です。 2.ホツマではカンタケの弓に舞い降りて神威を放つのは「黄金ウノトリ」ですが、書紀では、カンタケ(神武)のもと…
夏空と田んぼの稲たち…あぁ、夏を感じるひとときであります 今日の東京は一日晴れ。最高気温は36度でした。 今週は毎日のように夕立が来て、大変な日が多いです。 この前も昼過ぎに突然空が黒くなり、バッシャーンと大雨が。 あまりにも雨風が激しくて景色も真っ白…まったく見えませんでした。 これって南の島のスコールみたい。 昔、沖縄の西表島でこんな雨にあったっけ…そんなことを思い出しました。 (まるで緯度が…
平安時代の宮中を舞台にしたドラマ「光る君へ」。数十年と大河ドラマを見ている立場から言うと、この「光る君へ」は、合戦や戦闘シーンが少ない「変化球」であり、平安時代の宮中を舞台にした恋愛ドラマです。 第28回の副題は「一帝二后」 (賢子) 年末、まひろは道長との子を出産します。まひろの夫の宣孝は、子を賢子と名付けます。宣孝は、生まれた子が自分の子供ではないことを知っていますが、それを受け入れ我が子とし…
浅野内匠頭が刃傷を起こした理由について考えた話です。 前回の話 はっきりしない理由 やはりいじめか 否定されている 一度やったからこそ 前回の話 前回は、『仮名手本忠臣蔵』の登場人物の名前について考えて見ました。 yokositu.hatenablog.com 実際の事件の当事者の一人吉良上野介が、高家という役職だったことから、先ず敵役として『太平記』にも登場する実在の人物高師直が連想されます。 …
西園寺公宗(大河ドラマ「太平記」) わし高時は後醍醐天皇を隠岐に流したが、さすがに弑し奉るまではしなかった。その中途半端さが鎌倉幕府滅亡に繋がったのじゃが、それでも帝を手にかけるなど、さすがに恐れ多くてできるわけがない。じゃが、それをやろうとしたのが西園寺公宗とわが弟・北条泰家(時興)じゃ。けっきょくこの陰謀は失敗に終わるが、今回は2人が計画した後醍醐天皇暗殺未遂事件について紹介する。 すこぶる評…
「こんなところがあるのか!」と、市街地から車で5分ほどの場所に。幸加木神社(こうかきじんじゃ)を参詣した。鎮座地は鹿児島市小野の山中。 御由緒 せせらぎの音を聞きながら 木村探元の墓 御由緒 『三国名勝図会』によると、かつては「高加木権現廟」と称した。「こうかき」は「高鍵」「高賀木」「高架木」とも書く。御祭神は伊弉冊命(イザナミノミコト)・速玉男神(ハヤタマノヲノカミ)・事解男神(コトサカノヲノカ…
1262年11月26日、親鸞は入滅する。その遺骨は京・鳥部野北辺の大谷に葬られた。10年後、親鸞の死を看取った末娘・覚信尼により、墓は改葬され「大谷廟堂」となる。 親鸞亡き後しばらくは、この覚信尼が弟子たちのまとめ役であったと見られている。そして大谷廟堂は以降、覚信尼の血筋の者が継ぐことになるのだが、あくまでも「留守職」つまり墓守りとしてであって、その勢力は大きいものではなかった。廟堂を建てる際の…
・亀田俊和氏の勤務先への抗議などは、絶対にやめて下さい。宜しくお願い致します。 ・初めて当エントリーを読まれる方は、亀田俊和 - Wikipediaの他、以下の「呉座勇一事件(呉座騒動)」に関する記事などの、ご一読をお勧め致します。 kensyoiinkai.hatenablog.com kensyoiinkai.hatenablog.com kensyoiinkai.hatenablog.com…
白金城 (国立科学博物館 付属自然教育園) 訪問 2023年 7月 駐車場 無し 案内板 有り 「武蔵野に残る中世城郭」シリーズは今回の5で一旦終了です。 これまでのまとめも含めて「白金城」の紹介とします。 前4城 「天神山城」 「沖山の塁」 「赤塚城」 「奥沢城」 に共通して言えるのは段丘崖端を後背地とし占地し、「舌状台地」の要害性を上手く縄張りに組み込んでいる点でしょう。 また城の現状は周囲が…
さて、水上氏の文章は現在へと移っています 「さいきんになって、この丹波口駅を見物にいった。タクシーをとばして、島原へ行ったのだ。いまは、ここは観光用の女魁道中もあって、古い妓楼はかなりな見物客でにぎわっているが、売春廃止後はたいがいの妓楼は、灯を消してふつうのしもた屋に戸口を変えているものの、どこかに昔の名残りをとどめているのがなつかしかった。」 「女魁道中」とは「花魁道中」を意味していると思われ…
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