万葉歌碑に関するグループです。
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●歌は、「かにかくに人は言ふとも若狭道の後瀬の山の後も逢はむ君(坂上大嬢 4-737)」である。 【後瀬山】 「坂上大嬢(巻四‐七三七)(歌は省略)万葉のころ中央から北陸へはふつう近江湖北の塩津から愛発(あらち)山を越えて越前に入るものだが、湖西今津付近から近江・若狭(わかさ)の国境の山を越え、熊川(遠敷郡)を経て北川の河谷を国府のあったいまの小浜(おばま)市にむかう若狭道もあった。都が京都にうつ…
防人の歌 (万葉集より) 万葉集/巻20-4373 作者/今奉部与曽布 今日よりは 顧(かえり)みなくて 大君(おおきみ)の 醜(しこ)の御楯(みたて)と 出で立つ我(われ)は 【意味】もう今日からはくよくよ後を 振り返らずに 天皇の つたない楯となって仕える ために旅立つ わたくしは ※「醜の御楯」〈醜〉醜いもの、 ごつごつと頑強なものをさしていう語。 (下野の国の防人の歌) 「万葉の歌」に触れ…