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中離宮の客殿の東側を通って、上図の北側へ回りました。資料の平面図を見ると上図の出っ張った建物が「三の間」にあたります。この「三の間」の北側にも戸口が付けられており、従者の出入りに使われていたそうです。 「三の間」の軒周りを下から見ました。右手前の建物は「仏間」で、これは客殿を現在地に移築した後に付け加えたものであるそうです。林丘寺の施設になったことで、仏事空間が必要になったからでしょう。 「仏間」…
皆さんは東京都にある「八丈小島」という島をご存知でしょうか?よく聞く島の名前として「八丈島」が挙げられるんですが、その八丈島の目と鼻の先に八丈島よりもかなりコンパクトな離島が浮かんでいます。それが今回取り上げたい八丈小島です。
稲荷神社が鹿児島市本名町の上川内にある。こちらを参詣した。素敵なところだった。 御祭神は稲荷大明神。また、鹿児島神社庁のホームページによると、伊弉册尊(イザナギノミコト)・倉稲魂神(ウカノミタマノカミ)・瓊々杵尊(ニニギノミコト)とするが、こちらは明治時代以降に定められたものだろうか? この地はかつての大隅国吉田のうち。ちょっとややこしいのだが、吉田は天正15年(1587年)からは薩摩国に属す。 …
本稿は、古事記、日本書紀などに見える記述を素材とし、史料の範囲で確認できる事実と、そこから導き得る推論を整理した学術的性質の私的考察です。史料の性質上、本文には複数の解釈が成立し得る部分があり、ここで述べる内容は確定的な結論ではなく、あくまで史料に基づく一つの可能性にすぎません。なお、本稿は学術的仮説であり、特定の学説を否定する意図はなく、引用は学術研究の紹介であり、民族的価値判断とは無関係です。…
こんにちわ、rekikakkunです。 武田信玄ゆかり探訪記事を時系列で進めています。 前回は福与城、今回は大島城のご紹介になります。 6.伊那侵攻 ⑮大島城(伊那大島城) 大島城は長野県松川町に存在し、伊那盆地の 中央駒ヶ根と南部の飯田の中間位の位置です。 大島城は天文23年(1554年)、 領主の大島氏から武田氏が接収しました。 1540年代の高遠城や福与城等の上伊那侵攻 とは時期が異なり、1…
ザ・ドアーズの新しいライブのブートを聴いていた 1970年でいちばん新しい2月だったとおもう ボビーが修理したポンコツで旅にでようとしていた いままででいちばんおれらが若いと信じて これからもいちばん若いと信じて ボンネットに飛び乗った小人のビルが懐かしい会話をテープで聞かせる ノイズのピンポンのあいだでだれかの声が聞える "だれがおれを玉なしと云ったんだ? おれがそいつの玉を文字通りに切り落とせ…
詫磨 時秀(たくま ときひで、1220年代?~1290年代?)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武士、御家人。大友詫磨氏第2代惣領。 大友能直の次男・詫磨能秀(よしひで、1198~1263)*1の嫡男(次男か)。通称は次郎、別当次郎。法名は寂尊(じゃくそん)。表記は詫摩時秀とも(後掲【史料6】より)。子に詫磨頼秀、詫磨親政、詫磨貞重などがいる。 尚、祖父・能直が藤原秀郷流近藤氏より出たとされる*2…
[ ながらじんじゃ ] 葛城には古代からの有力神社が多くあり、以前にも訪れたことがありますが、今回は南河内方面から、葛城山と金剛山の間の水越峠を通って入りました。のどかな田舎道を走るのですが、大きなトラックも走るくらいのそれなりに幅のある道です。水越トンネルを過ぎて急激に山麓を下っていくと、まもなく当社に鎮座地にたどり着きました。 境内入口 【ご祭神・ご由緒】 境内の掲示に記される現在のご祭神は、…
山家陣屋址 「気ままにぶらっと城跡へ」の第43回目は、京都府綾部市にある山家(やまが)城と山家陣屋を紹介します。 *山家城・山家陣屋とは? ・【感激!】山家郷土歴史資料館・田中館長との出会いと心温まるおもてなし *山家城の歴史 *山家陣屋の歴史 *山家城・山家陣屋とは? 山家城は、京都府綾部市の山家地区の由良川本流と上林川が合流する地に築かれた戦国時代の山城です。 そして、山家陣屋は近世、山家城の…
おかげさまで公営住宅にあたりまして、その内見に先日いってきました。 写真はまったくもって上手に撮れていないのであげません。 今住んでいるところより広くなるし、なによりも家賃が安くなるので病気もちで短時間しか働けない人間としては本当に良かったと思っています。 一緒にお祈りしてくれたみなさんのおかげです。 どうもありがとうございます! ただひとつ、問題がありまして 日当たりがよくないとか古くて使い勝手…
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